介護保険制度検証のための基礎調査・第10回調査から
  高齢者介護とターミナルケア
  
(東京・生活者ネットワークの生活者通信 No.161 2、 3面に 記載

 東京・生活者ネットワークもメンバーの一員として参加している 「運動グループ福祉協議会」 と、 「市民シンクタンクひと・まち社」 が共同で進めてきた、 「介護保険制度検証のための基礎調査」(利用者側から介護保険制度を検証し、 改善提案につなげるための、 市民調査員による利用実態調査)は10回目の最終調査を終了し、2004年10月に5冊目の報告書をまとめた。 5年間の調査は対象者の5年間の歴史でもあり、この間に人生の最期の時を迎えられた方もあった。 最後の調査で、 ターミナルケア (終末期医療) を経験されたご家族の貴重な経験を伺うことができ、 介護保険制度そのものが在宅介護を支えるしくみであるにもかかわらず、 いつの間にか病院のベッドに最期をゆだねる結果にならざるを得ない、 制度の不備が明らかになった。


高齢者介護とターミナルケア   特定非営利活動法人市民シンクタンクひと・まち社代表 池田敦子 記  

 5年間という時間の長さ

 1999年から2004年の5年にわたる調査期間は、 介護を必要とする高齢者にとっては、 大きな変化が起こって不思議はない時間の長さである。 調査の当初、 何らかの福祉サービスを受けたことがある高齢者785人の回答者が、 第10回には264人に減ってしまった。 回答不能になった理由はさまざまだが、最も多いのは本人の様態や介護者の負担が重くなったことによるもので、亡くなったケースも決して少なくない。 04年3月の時点で調査事務局が把握できている死亡の累積は118人になっていた。ターミナルケアについての調査は、 この118人のご家族に調査票を届け、 55人から回答をいただくことができた。この回答は、基本的に5年間同じ調査員が同じ対象者を訪問する形式の、この調査ならではの信頼関係から得られたものであり、 貴重な内容のものである。

 どのような最期を希望されたか

 本人が生前に家族に伝えた終末期に関する内容は、「自宅で主治医や看護師やヘルパーなどのケアを受けながら最期を迎えたい」 という希望が最も多く15人だった。 「特に希望はないが家族に任せる」 という考え方は9人だが、「施設でのターミナルケアを受けたい」 という希望は3人、 「病院で最期まで十分な医療を受けたい」 という希望は2人と少なかった。 その他の回答者9人には、 「延命治療を望まない」 「過度の治療を望まない」 「特別のことはしなくてよい」 といった希望が書かれていた。
 このような希望は、 どのような形で家族に伝えられていたかを見ると、 書面にしてはっきり意思をあらわしていた人は皆無だった。 家族が本人から聞き出していた3人、 家族に口頭で伝えていた人13人、 家族が察していた17人と、 合計すると60%にあたる33人は生前の希望を日頃の会話の中で家族に伝えていた。 あとの40%にあたる人は本人から聞く機会がなかったり、 意思表示と思える場面はなく本人の希望はわからないままだったと回答している。 そして、 実際に最期を迎えられたところは、 自宅が12人と施設が4人。 病院は39人で70%を超える結果だった。

 「畳の上で死にたい」希望をかなえる覚悟

 自宅を最期の場と希望していた人でも2人の人は病院で亡くなられている。 病院で亡くなった人の中には、「過度な医療や延命治療を希望しない」 「痴呆のため介護者のそばにいることを希望していたので自宅がよかった」 「とにかく自宅でと本人が希望していた」 などの記述があり、 積極的に病院を選択したというより、様態の急変により、救急車などで病院に運び込まざるを得ない事態だったことが察せられる。このような結果は、24時間診療や主治医の往診、 夜間の訪問看護などが地域に用意されていないことの表れでもある。
 俗にいう 「畳の上で死にたい」 という住み慣れた場所で家族や友人に見守られながら迎える最期は、 当たり前の希望であっても、 現実にかなえることには相当の困難を伴う。 在宅での看取りは、 本人の強い意思表示と、 その思いを受け入れ最期まで支える介護者の覚悟が必要になる。

 希望をかなえた事例から

 この調査では12人の在宅での看取りが行われている。 そのターミナルケアの経験からは次のような感想が寄せられている。
 ターミナルケアにおいては、 「いつどういう形で死が訪れるか不安だった。 医者は1〜2か月といったが、 実際は2週間だった。(中略) 最期はアッという間だった」 「本人が弱っていく状態で経管栄養などをしないことで、 寿命が縮まると悩むことがあったが、 本人の 『医療行為は好きではない』 の原点に戻ってその都度決断した」 「慌てて救急車などを呼び、 病院へ運ばれたりしたら、 本人の気持ちをかなえられなくなるため、 最期の時がいつ来るのかという不安」 などがあった。 しかし、 「こちらの希望をしっかり受け止めてくださった主治医と看護師、 ヘルパーがあったこと」、 「かかりつけ医、 訪問看護師が私どもの気持を理解してくださり、 24時間対応で自宅での終末期の医療にとても協力してくださった」 「本人の意向を最期まで果たそうとした」 ことにより、 看取ることができたといっている。
 また、 ターミナルケアの経験から、 事前に準備をしておけばよかったこととして 「日頃から本人とよく話し、 確認しておく」 「本人が自分の意思を周囲に伝えることができるうちに聞いておく」 「先の見えない看護が続く中でゆとりをどう取るか準備すべきでした」 「医者とヘルパー、 ケアマネジャーと事前によく話し合う必要があった」 「母の死の1週間前に、 食事が摂れなくなってきたので、 兄弟たちにターミナルケアについての確認をとりました」 「様態が急変する時、 本人の苦しさを思うと病院へ連れて行こうかと迷うことが何回もあり、 どうすべきかを医師・看護師とよく話して心を決めておくこと」 「信頼できるホームドクターを決めること」 など、 緊張と不安と大切な気づきにあふれている。
 病院や施設での看取りにも、 さまざまな感想が寄せられていて、 病院へ移したことを3年も悔いる気持が残っていたり、 十分な医療を受けることができたが本人にとってどうだったか考えてしまうなど、 介護する側の悩みや苦しみも記されている。 しかしどこでの看取りにも、 本人の希望がはっきりしていた場合には、 その思いを一緒に遂げることができた介護者の達成感がそこにはある。 そしてターミナルケアを乗り切るためには本人へのケアと同時に、 介護者への精神的・肉体的支援が必要なことに気づかされる。

 ターミナルケアを改正の議論にのせる

 実際に、 死を間近に控えた本人と介護者の社会の受け皿は、 地域においては、 まだまだ運がよかったとか恵まれた状況という範疇 (はんちゅう) で達成されるレベルである。 経験者からの感想はそのまま、 現状のターミナルケアの問題をいい得ており、 これらの事例を通して、 どこに生活の場を置こうともターミナルケアが提供されるようになることが、 本当の意味で介護保険がめざす 「最期まで、 住み慣れた地域で暮らしつづける」 ことであるはずだ。
 介護保険制度の見直しは、 政府案がほぼでき上がり、 自治体には早々と新予防給付なる要支援・要介護1などの利用者への介護予防を謳ったメニューが説明され始めている。 しかし、 もう一方の重介護を要する利用者に伴う医療行為などについては、 医療と介護の連携には埋まらない溝を残したままである。 ターミナルケアはその最たる課題であるが、 介護保険制度と医療保険制度の乗り入れや、 24時間対応の地域での医療と介護のチームケアなどに新たな方針は見られない。 介護保険制度は、 契約による本人の選択が可能なサービス制度である。 そこに近づける努力は、 利用者側からの発議が重みを持つはずである。 (2004.12)

 copyright (c)2003-2005NPO法人市民シンクタンク ひと・まち社  All-Rights Reserved.
 新宿区歌舞伎町2-19-13ASKビル502 03-3204-4342